US像に限界はあるのか

藤枝市立総合病院超音波科 杉山  

 

「US像に限界はあるのか」というタイトルでお話をさせて頂きます。

多分、放射線技師の中で超音波検査を始めたのは、私が早いほうに属する一人ではないかと思います。そこで、検査を始めた頃の画像と想いについてお話いたします。

1977年 頃の超音波診断装置と得られた画像についてご覧いただきたいと思います。装置は今のように探触子をみたい部位に当てれば直ぐ画像が得られるというものではありませんでした。当時は、一つの探触子を用い、みたい部位に走査し、患者様には呼吸停止をお願いし、ゆっくり手で走査します。この時、画像の記録は装置に取り付けてあるポラロイドで、バルブに設定したシャッターを開放し、走査終了後に閉じるというものでした。まさに職人芸と思いませんか。この走査のタイミングをマスターするまでは、なかなか思うように出来ませんでした。が、慣れてくれば、走査部位とみたい臓器が一致し、今より読影範囲の広い説得力に富んだ画像が得られるのです。この検査の感動と模索を日々味わっていました。

今になって当時の画像を見るとき、画像とはなばかりでした。中間色の灰色領域が無かったため、白黒だけの画像であったからです。ある時、静岡の某医師会で講演に行ったときの質問が物語っています。急性膵炎の話をしていたのですが、炎症のある膵臓が黒く描出されていたので、「その黒い所は水が溜まっているのか」という、まとを得た質問をいただき、なるほどと思いました。

急性膵炎の超音波像(矢印)

勿論当時は、これ以外の装置はありませんので、超音波画像は素晴らしい画像と考えていました。当時、私は胃透視に情熱を燃やしていたのですが、縁あって巡り会った超音波画像を基に、これからは腹部超音波検査に挑戦しようと考えるようになっていました。

まだ、肌寒さが残っていた3月頃のことです。TVを見ていましたら、サーカスの番組が放映されていました。私は、このスリルを何気なく見ていました。やがて場面展開がピエロの登場になったのです。このシーンに見入ってしまいました。

たかがピエロ、されどピエロの芸は、限られた時間に、ミスしないで、お客を笑いの渦に巻き込み、楽しい雰囲気にさせてくれたのです。この時、私は公務員として与えられた仕事だけを情熱も傾けずにしていた自分が恥ずかしくなりました。同時にプロ意識の素晴らしさ、根性、芸に対する情熱を垣間見せてくれたのです。プロとして生きていくための座右の言葉を自分に用意しようと考えたのもこの時でした。

「早く・正確に・感じよく」のフレーズは今でも検査の時には思いだし実践するよう心掛けています。

しかし、結構な座右の言葉を掲げてはみたものの、超音波検査の奥義を知ったわけではありません。自信も持てないままに時間ばかりが過ぎていく焦りのようなものを感じていました。

消化器科医師とも相談し、疑問を感じたエコー像には、実証主義で対応していこうとなり、胆道系の疾患で亡くなられ、解剖される方には解剖に立ち会うようにしました。その中で、若くし肝癌で亡くなられた肝臓を水浸法により、生前の肝臓と解剖時のエコー像を対比して検討したりしました。

肝癌の超音波像(矢印)        剖検像(矢印)

同じようなやり方で、胆嚢、膵臓、腎臓などの臓器についても手術、解剖を問わず、摘出された際には、臓器を水浸法で検証する日々が長い間続きました。

こうした実践的検証が、早期膵癌を発見する契機となりました。

 

最初に指摘し得た膵癌の超音波像(矢印)

この症例を事あるごとに、学会などで報告したところ、静岡県内で超音波検査を診療に取り入れようとしている施設から医師、技師の多くの見学者や自習生がこられるようなりました。

しかし、腹部臓器全体の検査手順や技術的未熟が患者様への経済的負担、精神的不安を与えてしまうことになることを次の症例で知りました。

肝癌と肝血管腫との鑑別が出来ずに様々な検査が施行された症例、腎癌と腎血管筋脂肪腫との鑑別ができなかった症例、急性腹症で来院され、膵臓の足方に腹部大動脈を横走する低エコー帯が馬蹄腎と分からなかった症例などは、私にとって教訓的症例として、脳裏に焼き付いているものです。

これらの屈辱的教訓を解決するため、腹部臓器全体を見ることの大切さや、検査方法について誰でも簡単にできる方法について考えるきっかけとなりました。

出来上がったものが「の」の字の走査法というものでした。この方法で、各臓器、血管を同定しながら検査していくものです。病院で実践してみると意外にスムーズに検査することが出来ました。この方法を更に拡大し「の」の字の2回走査で膀胱までを観察する方法を思いつきました。こうして院内における超音波検査法を確立することが出来ました。この方法は1986年5月の日本超音波医学会で発表致しました。

次にどのような疾患をチェックするのかについて、病気を絵に描いてみようと考え、

各臓器における疾患のCheckpointについても模式図で表すことができました。

これで、病院における超音波検査がX線のように普遍的検査として日常臨床の現場で定着することを確信しました。

1976年(昭和51年)検査を始めた当初は、11平方メートル一間の大きさに、装置1台と技師1人で対応していましたが、2001年(平成13年)には275平方メートル、装置も10台を有するようになり技師7人、医療補助者3人で対応するようになりまし。検査件数についてみますと、1987年には超音波総件数は11,910件であったのが2000年には31,351件になりました。

検査内容は腹部・心エコー・乳腺・甲状腺、体表、血管、穿刺、術中検査、結石破砕と多伎にわたっており、私が当初からの想いとして、超音波と名の付くものの検査は全て超音波科で行うようにしたいとの考えが実現されました。今後も超音波検査は件数が増加しても減少するものではないと感じています。この数字の実績により診療技術部では超音波科を放射線科から独立することが出来ましたので、予算措置も超音波科として要望することが出来るようになり最先端の装置を購入することが出来るようになりました。

最先端装置における症例を呈示します。

門脈肝静脈短絡の像です。従来の検査ではカラードブラが無かったため、肝嚢胞としていたものが、カラーにより血流信号が得られ、門脈・肝静脈短絡と診断することができるようになりました。次に、下大静脈近傍に見られた肝細胞癌が右房を超え、右室に転移した希有な症例です。腹部検査に止まらず、心エコーについても検査範囲を広げておくことで、その場で対応できたが症例です。他に、門脈血栓の症例、膵嚢胞との鑑別がカラードブラでできた脾動脈瘤の症例があります。また、胆のう癌が肝転移し肝内胆管の軽度拡張した症例や腹部大動脈瘤破裂の症例、重複腎盂尿管の下端に尿管瘤がみられ、尿管瘤内に大きな結石が見られた症例、膀胱癌の症例、大きな脾内腫瘍が悪性リンパ腫であった症例では、鼠径部にリンパ節腫大がみられ幅広い検査をすることが患者様の利益につながることを体得させられた貴重な症例もあります。インシュリノーマの診断では、カラードブラが有効であった症例や腎膿瘍の3次元映像、骨折の治癒過程にある血流信号の評価、心エコーでの冠動脈の描出、そして超音波造影剤を用いた肝細胞癌の診断と、超音波下による穿刺・治療により、腫瘍内血管の効果判定を超音波造影剤で評価するといった症例などについて呈示させてもらいました。

超音波造影剤を用いた肝細胞癌の像(矢印)

 

 

三次元表示の胎児の超音波像(矢印)

まとめとして、「US像に限界はあるのか」という演題をいただき、検査を始めた当時の想いと、超音波検査を日常臨床の場でX線検査なみに普遍的検査として対応することへの情熱をかけるにふさわしい検査であったことを強く感じ、今後もあり続けること

を一層感じるものです。この超音波検査手順を定着させることで、腹部全体の疾患を速

やかに指摘することが出来るようになったと思います。このことが、ソフト・ハード面の充実となり、検査する者の組織体制までもが確立できたと考えています。

また、よりよい装置の購入は更に超音波検査の限界をbreakthroughできるものと考えています。科学技術は常に限界に挑戦するものと思いますが、それには見えないもの

を、見えないで終わるのではなく、見る力を常に養うことであると考えます。その根元にあるものは、仕事に対する愛とほとばしる情熱であり、実績が更なる信頼となって輪廻していくものと信じています。    

 杉山 

 現在、浜松南病院 画像診断部に所属